プロフィール

ジュンママ

  • Author:ジュンママ
  • 3児の母。娘が2人。
    末っ子の息子のジュンは、1歳で脳腫瘍(毛様細胞性星細胞腫)を発症。
    (闘病の詳細はHPのほうに
    記しています)
    現在は高校1年生。
    日々のあれこれを綴ります。

    ※ここでジュンのことをお伝えするのは終了しました。
    今までありがとうございました。
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この声がとどくまで 
2006/09/29 【Fri】 22:49
CATEGORY【さとし君のこと】
ここに一枚の習字の作品があります。



このやさしい願いを書いた少年は、東慧(あずま さとし)くん。

学校の先生が、ある一冊の本を慧くんに渡して「好きな字を書こう」と
言ったところ、慧くんはこの言葉を選んで書いたそうです。

家族思いで友達思いで、とても優しい心をもっていながら
野球選手になりたいと願う、元気いっぱいのとても活発な男の子でもありました。

慧くんは平成10年、小学校4年生のときに脳腫瘍(髄芽腫)を発症。
せいいっぱい頑張りましたが、平成16年7月、15歳でお星様になりました。

。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆。 ・ ゜ ・ 。 ・ ゜ ・ ☆

慧くんのお母さまから、ジュンのHPにメールを頂いたのは
昨年(2005年)の、年が明けて少したった頃でした。

そこにはジュンのHPを見て下さっていること。
ジュンを応援して下さっていること、などが優しい文章でつづられていました。

以後メールや手紙、時にはお電話でお話しながら、親しくさせて頂くことに。
息子さんの慧くんのこともお聞きすることが出来ました。。

息子さんの慧くんが、脳腫瘍を発症したのは小学校4年生のとき。

最初は風邪だと言われ、薬を処方されてましたが
一生懸命、薬をのみ続けても一向に良くならないことに、異変を感じたご両親が
大学病院を紹介してもらい、そこで検査の結果診断されました。

我が子に下された診断。その病名「脳腫瘍」。
その言葉に押しつぶされそうになりながらも
慧くんのご両親は、その大学病院に大切な息子さん慧くんの命を預けました。

大きな大学病院だから、最善の治療が受けられるだろう・・・

しかしその期待は裏切られました。
その大学病院が慧くんに行ったことは、「ずさん」そのもの。

途中、転院するも慧くんは元気を取り戻すことなく、
平成16年7月10日。静かに旅立っていきました。

その後病院側が慧くんに行ったことを疑問に思ったご両親は、協議を重ね
平成17年5月、提訴に踏み切りました。

詳しい事実経過は。このたび慧くんのお父さまが立ち上げられたホームページ
「さとしの医療裁判~この声がとどくまで~」をご覧下さい。
http://satochan.boy.jp/

その提訴のことは、当時ジュンパパがジュンのホームページ別館の掲示板に
「訴訟と警鐘」というタイトル取り上げています。

 5 訴訟と警鐘             管理人 - 2005/05/29 14:51 -
ネットで見つけた新聞記事です。一部名称を伏せるとともに、省略しています。
○○○立医科大付属病院で脳腫瘍(しゅよう)の手術を受け、6年後に死亡した
子どもの両親が,診療科間の連携不足で適切な治療が受けられなかったなどとして、
○○府を相手に○○○○○万円の損害賠償を求め、26日○○地裁に提訴した。
 
訴状などによると、○○さんの息子さんは1998年6月、○○府立医大病院で
脳腫瘍の摘出手術を受けた。

腫瘍の一部は脳に残り、手術後、放射線治療と抗がん剤による化学療法を
受けたが、化学療法は中断された。
01年1月に再入院して治療を受けたが症状は悪化し、03年1月に別の病院に転院。
症状はいったん回復したが、04年に亡くなった。
訴えで両親は、○○府立医大の治療について
▽脳神経外科と小児科の連携が不十分で、小児科が勧めた大量化学療法を
行わなかった 
▽継続すべき化学療法を中断した-などと指摘している。
○○さんは「診療科間の連携不足などで十分な治療を受けられない子どもを、
裁判を通じてひとりでも救いたい」と 話した

○○府立医大病院は「脳神経外科と小児科の連携は適切だった」としている。
(京都新聞より抜粋2005/5/26)


子供の治療には連携が不可欠です。ジュンも○○大学付属病院の連係プレーで
危機から脱出できたのです。
詳しくは本館に記述しています。

我が子の死を無駄にしない勇気ある行動と、総合病院での診療科目間の
連携のあり方に警鐘を鳴らしてくれました。


慧くんのご両親は、この裁判を通して患者家族の心の叫びを、
そして難病と闘う子ども達の未来のために多くの声を
医療現場へ届けたい、そう願っておられます。

もう二度とこのような恐ろしいことが起こらないように。
未来を生きる子ども達の為にも、社会にこのことを知ってもらいたい!
そう願って提訴に踏み切って下さったのです。

一人の声は小さくても、たくさんの声を合わせれば、「大きな声」になります。

慧くんのお父さまが立ち上げたHP。
「さとしの医療裁判~この声がとどくまで~」
どうぞこちらのHPをご覧になり、感想、ご意見などをお寄せ下さい。

慧くんのお母さまが慧くんの一周忌に合わせて作られた
文集がここにあります。

その一説を紹介します。。

「慧、かあさんの子どもになってくれてありがとう。
15年間、あなたの母親でいられたことを、本当に幸せだったと思います。
あなたと一緒に生きられた時は、どの時も、どの瞬間も、
かあさんにとって、宝物です。
かあさんが慧を支えていたのではなくて、慧がかあさんを支えていてくれてたこと
あなたがいなくなった今、はっきりとわかりました。
できることなら、生まれかわってもかあさんの子どもになって下さい。
今度は病気でも障害でもかあさんは逃げずにしっかりと受け止めるから・・・。」


失われた命はもう二度と戻ってきません。
でも、この事実を未来に生かすことは、出来るのです。

慧くんの声、慧くんのご両親の声、そして、私達の声。

「みんな幸せに」

この声が届くまで。


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